LOGIN――ハワード王国 城門前――
春を迎え、戦闘に適した季節へと変わるや否や、カイゼル王は整然と並ぶ軍勢の前に毅然とした姿を現します。
前回の戦闘結果を踏まえた兵士たちはさらに戦意を高揚させ、歓呼の声で王を迎えました。「戦友諸君! もはや忍耐の時は過ぎた! 前回は迎え撃つ戦いだったが、今回は違う。帝国の喉元へと突き進み、その喉笛を食いちぎる戦いだ。帝国に強烈な一撃を加え、我が王国に侵攻しようなどと二度と思わぬよう思い知らせるのが目的だ。大義は我にあり! たとえ何十万、何百万の軍勢を持ってしようとも、我らの土地のひとかけらたりとも|掠《かす》め取ることはできないと教えてやるのだ!」
軸となる目的を持って鍛え上げられた兵たちの目は自信に満ちており、強気とも言える王の言葉によってさらに戦意を高揚させます。
年が明けて九歳になったアウグストもそばに控えており、その目は遠くを見据えるようで、兵たちの目には前回の戦いを導いたように勝利が確定した未来を見ているようにすら映ります。「我らが王国は帝国の飽くなき領
――ハワード王国 王都カイゼリオン 王城国王室――「以上、我が軍が行った帝国内での任務報告です」「ふむ」 カイゼル王は息子アウグストが淡々と語る軍務報告を顔色一つ変えずに聞いていました。ある程度は伝令役の兵から聞いていたことでもあり、大体の予想はついていたからです。「報告は分かった。して、息子よ、お前の目から見て現在の帝国、及び皇帝はどのようなものだったのだ?」 アウグストは少し考える素振りを見せた後、自分が肌で感じた帝国の空気を率直に述べました。「大多数の市民は皇帝陛下の帰還を歓迎し、窮地を救われたことによって多大なる感謝と支持を表明しています。一部の市民の中には不満を漏らす声もありましたが、それも今はまだごく小さなものです。ただ、帝国は未だ大きな火種を抱えているのは間違いないでしょう」 憶測ではなく、間違いないと言い切ったことにカイゼルは注目。目線だけで続きを話すように促します。「今回、軍隊として当然の役割である帝都の秩序回復に関して、帝国兵は何ら関与することが出来ませんでした。それは今すぐ噴出するような不満ではないものの、地面の下でうごめくマグマのように軍団内ではくすぶり続けます。自分たちの役割を他国に頼らざるを得なかったことは誇りを傷つけ、自信を喪失させ、最終的には軍の規律や皇帝への忠誠心にも関わってくるでしょう。今回、皇帝陛下は権威を取り戻すことはできましたが、権力に関しては中途半端なままであり、この権威と権力の乖離は帝国内に再び歪みを産むのは間違いないと思います」 いくら善政を施そうと、言葉を尽くして大衆を説得しようと、そこに実行力が伴わなければそれは戯言に過ぎません。「人々の感情は移ろいやすく、彼らを説得するのは簡単ですが、それを維持しておくのは難しい。帝国軍内にくすぶっているものは何らかのきっかけで容易に質を変え、それは簡単に飛び火します。為政者が余程慎重に動かない限り、この火種を鎮静化させるのは困難かと」 理路整然と話すアウグストの言は、武に重きを置いてきたカイゼル王にも十分に納得できる自然な人心の流れです。 ただ言われて理解するのと、最初からそれを見通す
――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 皇帝廟私室――「帰ってしまったわね」 いつものようにヴィルヘルムを相手に、イストリアは静かな表情で呟きます。 忠実な側近は彼女が吐いた言葉の中に、少なからぬ寂しさが混じっているのを感じます。「お気持ちは分かりますが、これ以上他国の軍隊を帝都内に駐留させていては、臣民の心情に良い影響を与えないでしょう。むしろ早急に帝国軍を立て直し、秩序回復の役割を彼らに担わせるべきでした」 ヴィルヘルムの言わんとすることはイストリアとて理解しています。しかし彼女の中では皇帝としての明確な責務と、一人の人間としての感情が複雑に絡み合っているのです。 そしてこれは側近であるヴィルヘルムには決して明かせないことですが、ハワード王国軍を後ろ盾にして帝国の政務を行っていた時が、皇帝として最も充実した時間を過ごしていたように感じていたのです。彼女とて自国の兵士に信頼を置いていないわけではありませんが、最高指揮官と一介の兵士の距離がとても近い王国軍の雰囲気は、民を愛する彼女にとってとても親しみやすいものであり、一つの理想形でもあったからです。 その心地よい関係性のゆえに、彼女は大きな災いとなる最初のひずみを見逃してしまったのですが……。「ですがその王国軍の助力もあって、帝国内の生活はひとまずの安定を得ました。ローゼンベルクが完全に力を失った今、皇帝陛下には今まで以上に慎重な判断が求められます。帝国の統治を平常に戻し、元老院との足並みを揃えて名実ともに力を備えた統治者となられますよう」 忠実な臣下として、敬愛する皇帝陛下が誰からも愛せるようにとの願いを込めた言葉。しかし、イストリアはその言葉に含まれた意味をすぐには理解できませんでした。 彼女は少しムッとした様子で問い質します。「なんだか持って回ったような物言いね。遠慮はいらないから、そういうことはハッキリと言って|頂戴《ちょうだい》」 ヴィルヘルムは軽く頭を下げると、彼女の命令通り、包み隠さず今の皇帝が置かれた状況を説明し始めました。「今回、帝都の臣民は陛下を都から追い落とし、自滅とい
――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 皇帝廟謁見室―― イストリアはたくさんの行政官や議員と面会し、それぞれに具体的な指示を出して忙しく過ごしています。 ローゼンベルクは前皇帝時代、内政面で辣腕を振るい父皇帝の信頼を得たのですが、平時の政治と戦時対応とでは勝手が違ったのか帝国の統治機構は酷い有様でした。特に皇帝支持の勢力を一掃したため人材が不足しており、そこに物資の包囲網が重なって帝国政治は混沌としていたのです。 イストリアはまず追放されていた人々を呼び戻し、その人達の帰還を待っている間も時間を無駄にしませんでした。政府の失策によって困窮状態に陥ってしまった民衆を救うための暫定法を次々に制定し、帝都内の食料流通と経済の安定化を最優先に緊急措置を施していきます。 そこには確かに有能な『皇帝』がいました。 緊急事態の支援軍として駐留し、その身分で謁見室の一席を与えられていたアウグストはその様子を無言で静観しています。(政治家としてとても有能なのは間違いない。だが全てを一人で決め、行政官だけでなく元老院議員すらただの実行部隊として指示を与えているだけというのは……) 確かに今は緊急事態であり、そういった時には決定権を一人の人物に集約し、政策が迅速に実行されることは大切な事です。しかし、帝国本来の立法は元老院の承認と市民集会の支持を得る必要があり、現在の状態は超法規的としか言えません。 優先度の高い法案に関しては暫定措置でも問題はないでしょうが、イストリアはこの機に軍縮を始めとした国家改革を次々に進めていました。皇帝帰還で国難が過ぎ去ったことは明らかなことに加え、機能を失った帝国軍に代わり帝都内の治安維持を担う王国軍を後ろ盾にしている。そんなイストリアに表立って不満を表す者はいませんでしたが、議員や市民の中には疑問を持つ者が出て来るのは当然のことでしょう。(帝都の困窮状態を早急に、鮮やかに解決しつつある現在、市民の皇帝に対する支持は急速に高まりつつある。今や権威は一極集中状態と言ってもいい。だが皇帝陛下は大切な物を見落としている) 矢継ぎ早に与えていた指示もひと段落し、イストリアにようやく訪れた休息
――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 市民集会所―― 今日は法案が提出されたわけでも、官職選挙が行われる日でもありません。 しかし、市民集会所には選挙の時よりも多くの人々が詰めかけていました。「主食すら満足に買えないとはどういうことだ!」「これだけ食料価格が暴騰してどうやって食っていくんだ!」「政府はいったい何をしている!」「皇帝がいなくなった途端にこれか!」「何の役にも立たない軍隊に兵糧を支給する余裕があるなら市場に回せ!」 人々は生きていくうえで絶対に欠かせない『食料』を満足に確保できない政府に対し、その不満と怒りを爆発させているのです。 皇帝が帝都にいた時期には決して起きなかった緊急事態。 軍がなくても人は動けますが、食料がなくなれば国民の生命そのものが脅かされます。 古今東西、どこの国の最高権力者でも、権力を握る以上はそれを支持する民衆に対して絶対に守るべき責務があります。 一、安全保障。大規模な外敵の侵入を防ぐことは国家にしかできません。 一、治安維持。国外だけでなく、国内でも安心して暮らせる状況を作り上げること。 一、食料の安定供給。これは言うまでもなく市民の生命そのものに直結することです。 この三点は絶対的に死守するべき最高権力者の責務であり、これらを満たした上に富の蓄積や生活水準の向上、利便性などのインフラ設備が整ってくるのです。 ローゼンベルクは現在、その責務とは正反対の極致にいます。外部では法的に正当な地位にいる皇帝という人物を、自らの行いで敵に回し、国内では食料の供給がほぼ停止。その上でデモの頻発という、三大要素を全て壊滅的な状態にしてしまい、それに対する有効な手立てを打てないまま本格的に困窮していくのを待っているしかできない。 帝国の心臓部たる帝都は、わずか数か月の供給制限という包囲網によって息も絶え絶えといった様相を呈していました。 こんな状態では他国に向かって軍を進めるなど、到底不可能。国民の不満は日増しに高まっていきます。 ローゼンベルクは暴徒を恐れ、皇帝廟から一歩も出られ
――リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 皇帝廟謁見室――「なんだと!」 偵察の報告を聞き、玉座に座るローゼンベルクは声を荒げました。 彼が皇帝の所在を確認したのは、イストリアとハワード王国の同盟が締結され、帝国全土に皇帝勅令が発布された後だったのです。「よりによって敵国と同盟を結ぶとは! これでは皇帝自ら国を売ったも同然ではないか!」 予想だにしていなかった展開に激高する現在の実質的最高権力者に対し、反論する者も今後の展開を冷静に忠告する者もいません。 抵抗する力もなくし、本拠地を捨てて逃げ出した皇帝など何の力も持たないと思い、帝都に籠って自派の強化と反対派の追放に権力を行使している間に、気が付けば自分たちが帝都内に閉じ込められていたのです。 帝都内で唯一の最高権力者となり、勝利の美酒に酔っている間にイストリアは一本の矢を放つこともなく、一個軍団すら派遣することなく、事実上の宣戦布告をローゼンベルクに突きつけました。 こうして「第二次西方戦役」は、帝国側の誰ひとりとしていつ始まったかを明確に答えることが出来ないうちに幕を開けたのです。 帝国の心臓部である帝都を握っている以上、ハワード王国にいる皇帝の勅令と言えど絶対的な強制力を発揮するわけではありませんが、覇権国家と違い自国の生存戦略を第一と考える中小の王国は大義名分や法の正当性よりも力の論理に従います。 確かに帝国は強大な軍事力を誇ってはいますが、それも周辺の中小王国との協定による派兵に大きく依存しており、帝国が直接統治する地域のみに限ると兵力は大きく削減されます。まして今回皇帝が拠り所としたのは、ほんの数年前に圧倒的な大軍勢を相手にして完璧な勝利を見せつけた、強大なハワード王国です。 すでに多数の国が皇帝の勅令に応じて兵と兵糧の供出を承諾したという報告も入っており、まだ勅令に応じていない王国もローゼンベルク側につくと態度をはっきりさせたわけではなく、様子見といったところ。「どうして……こんなことに」 ローゼンベルクは玉座で天を仰ぎます。「しかし、わしはまだ負けたわけではない……」 拳を握りしめ、鋭い目つきで前方を見据えるローゼンベルクに、長年彼の右腕として甘い汁を吸い続けてきたマーカスが大仰な声と身振りで声をかけました。「宰相! たとえ周辺諸国からの援軍が半分になった
「そこまで全部見透かされているなら、余計な前置きは不要ね」 そこまで言うとイストリアはそれまでの平民然とした態度を改め、姿勢を正しました。その姿は先ほどまでとはうってかわって威厳に満ちており、この人物が確かに皇帝の血筋を引く者だということを再認識させられます。 カイゼル王とアウグストはもう一度頭を垂れました。「第十二代皇帝イストリア・フォン・リンゼンとして申します。ハワード王国カイゼル・ハワードに正式な同盟関係の強化と、国内の反乱勢力に対する助力を要請します」 この一言により、元老院議員の王太子に対する表敬訪問は姿を変え、リンゼン帝国とハワード王国の同盟強化と軍事協力の首脳会談へと変貌しました。会話の主役を変更するだけで、亡命という図式を排除し、皇帝としての職務遂行にステージを上げたのです。 これはローゼンベルクが使う『国家緊急特別対策宣言』という脱法的暫定措置に反して、正式な法的根拠のある措置であり、法律闘争において今度は皇帝側が勝利を得たということなのです。法的にはローゼンベルク率いる帝都そのものが『反逆者』になった瞬間でした。 国王カイゼル・ハワードは頭を下げたまま、恭しく答えます。「皇帝陛下に地位を認められた臣下として、直々の要請は勅令と同義。帝国に忠誠を誓う我が王国は、今後皇帝陛下の剣となり盾となり、その力を存分に発揮すると誓いましょう」 カイゼル王は皇帝イストリアの手を取ると、その手の甲にキスをします。 アウグストはその様子をまんじりともせず眺めていました。 イストリアはその視線に気が付き、顔を向けましたが、彼は何も言わず目を逸らします。「くすっ」 イストリアは微笑み、アウグストの方へと向き直りました。「殿下は忠誠を誓ってはくれないの?」「私ごときの身分で陛下に触れること自体が畏れ多いと存じます」 アウグストは頭を下げたまま、目を合わせようともしません。 その様子を見ていたカイゼルは思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、息子に対して言いました。「王族の一員が陛下の手を取ることの何が畏れ多いものか。お前も